15日の朝、私の長年のパートナーだったパイは静かに眠りにつきました。
実は土曜日にはもう自力で立つことも飲むこともできなくなって、ただ目を見開いて、なでてやっても反応は薄く、じっと横たわっているだけでした。
私は猫たちの健康状態を知るために買った聴診器で、一晩中彼女の心臓の音を聞いていました。
彼女の心臓はまだまだ力強く規則正しい音を伝えていました。
いつのまにかその音を子守唄代わりに寝てしまったんですが、朝起きたときもまだ変わりはありませんでした。
朝の用事を済ませて彼女の様子を見に2階の寝室に行ったら、彼女はすでに冷たくなっていました。
聴診器を胸に当てるとシーンと静まり返っています。
ああ、とうとう虹の橋を渡ってしまったんだね。
ごめんね、最期を看取ってあげることができなくて。
たったひとりで寂しかったでしょう。
そっと開いたままの目を閉じて、何度も何度も繰り返し頭をなでながら、私は泣きました。
ごめんね。いままで一緒にいてくれてありがとう。
楽しいたくさんの思い出をありがとう。
またいつか、きっといつか、必ず会いに行くから待っててね。
火葬しようかと考えましたが、私の住む地域ではペットの火葬は合同葬で遺骨を返してもらえません。
日曜出勤の連れ合いに電話をかけてパイが死んだことを伝え、どうするか相談したら、長く一緒に暮らしていたんだから庭の片隅に、私たちのそばに埋葬しようということになり、夕方帰宅後に花壇の隅に穴を掘ってお墓にしました。
子供たちにもお別れをさせて、ここには花を絶やさず咲かせようと思いました。
手のひらサイズのちっぽけな子猫、離乳食がわりの牛乳に浸した食パンが大好きだった子猫。
今なら牛乳は下痢するって知っているけど、当時は猫飼い初心者だったからそんなことも知らなかった。
そんな乱暴な食事の与え方をしていても、お腹一つ壊したことはなかった。
今なら外は危険が多いので室内飼いで定期的にワクチンも打たなければいけないという意識を持っているけど、当時は自由に外へ行き来させていたし、予防接種なんかしたことなかった。
それでも彼女は元気で、実に猫らしい猫だった。
彼女の心臓が最後の動きを止めるまで、それは力強く働いていた。
病気らしい病気ひとつせず、健康で美しい猫だった。
15年生きた猫。人間で言えば76歳なんだそうな。
気がつけば彼女は私の年齢をあっという間に追い越してしまった。
背は曲がり筋肉は衰え、階段を上るのさえ大変そうになってしまった。
小さな命と暮らすと言うことは、こういうことなんだと痛感した。
小さな心臓の鼓動は早い。
生命体のそれぞれの心臓が刻む回数は決まっているというようなことを、ずっと前にTVで見たことがある。
早く打つ心臓の寿命は短い、ゆっくり打つ心臓の寿命は長い。
そんな内容だったような気がする。
昔なら猫が10年生きたら長生きと言われたものだけど、餌や環境のよくなった今では10年以上生きる猫も少なくないそうだ。
15年、よくがんばったと思う。
彼女は特別に何もがんばったわけではないだろうけど。
ほんの2・3ヶ月前まで、2階からデッキの屋根に飛び降りて、デッキのラティスを伝わって降りたり、箪笥の上に飛び上がったりしていたのだから。
まだまだ元気だと思っていたのに、老いの衰えが目立つようになってからは、急速に弱っていった。
病院に連れて行ったのがかえって仇になってしまったんだろうか。
そんなことも考えた。
私にできることは本当に少なかった。
猫のためを思っての治療をしてもしなくても後悔は残る。
苦しまなかったんだろうか、ほとんど食べることができなくてやせ細って、ひもじい思いのままで死んだんじゃないだろうか、そばに誰もいなくて寂しくなかっただろうか。
と、考えれば辛くなるけれど、ただ安らかな寝顔のような最後の顔だけが慰め。
布団に入ってパイがいないのが、とても寂しい。
本当に今家に猫がいっぱいいてよかったと思う。
にゃんずがいなければ耐えられない。